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umelabo log

kazuki umezawa

自分の制作の考えをまとめるために抽象的になってしまうが文章にまとめる。
キャラの力はすごいが、その力はイラストなどのキャラクターにだけ宿っているわけでない。キャラクターからイラスト的な力をなくしても残っているキャラのイデアとでも呼ぶべきような純粋に強烈な引力がある。それを得られる気配はキャラクターを分解再構築することでかろうじて立ち上がってくる。イラスト的なキャラクターに寄りすぎては行けない。立ち絵っぽかったり、背景っぽいのがあったりというのも、利用するぶんにはいいが自分にとっての本質はそこではない。イラストのような表現を否定しているわけではない。自分が目指すべきところはそこではないというだけだ。目指すことができないとも言える。では目指すところはどこなのかというとアートと呼ばれている言葉がなんだかんだで近い。なんだかんだで近いがアートだと言い切るのも悔しい所がある。キャラの眼の画像を扱うのは、イラスト的な引力に寄ってしまうのでリスキーだ。しかし、イラストが魅力的なのに似て眼の画像は魅力的だ。とても扱いやすい気にさせてくれるし、増殖コピーもしてくれと言わんばかりに訴えてくる類の画像が多い。この力を扱う道程に自分は居る、まだ居ると思っている。「まだ」と言うのはいずれ扱わなくなる可能性があるからだ。キャラの眼の画像は「アニメ」「漫画」というタグ付けを作品に強制する。特に上の世代への強制性が強い印象がある。その強制はある種の人々の興味を引き、ある種の人々の興味を失わせる。より多くの人の興味を集めれば良いというわけではないが、指標にはなる。とにかく自分の制作において、多くの画像を分解再構築する過程で眼が分解されないことが多いのは重要だろう。キャラ眼を分解してなおかつその力を以前以上に成立させて構成することができれば、もうちょっと上の達成ができるかもしれない。その達成のためなら一時的かずっとかわからんが平面が優先されなくても良い。

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