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kazuki umezawa

「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」国立新美術館

http://www.nact.jp/exhibition_special/2008/PICASSO/index.html

2008年10月4日(土)〜12月14日(日)
毎週火曜日休館 10:00 から18:00まで 金曜日は20:00まで

サントリー美術館じゃないほうで六本木で今やっているピカソ

・最近まで耳切った人でしょーって勘違いしてた。

ピカソの絵は以前も二回くらい観たことがあって一回観た時は意味が分からなく二回目観た時は腕や指が異常に太い人体の絵が気になった。気持ち悪いけど気になるなこの巨匠は、くらいの感覚。二回目は浪人の頃だったと思う。それから観てなくて五年ぶりくらいに観て感銘を受けた。特に立体作品を観てひどく感銘を受けた。アッサンブラージュのはしりと言われているもの。

この人の立体作品は初めて生で見た。図版では観たことあるかもしれないけど。立体としての完成度、存在感はもちろん自由さがとても良かった。どんな角度から観てもこの人が組み立てるときの過程、心境を想像するのが楽しい。説明書無視して接着剤でプラモデルを好きなように組み立てるような楽しさが想像できた。
あとなんか組み立てているうちに手垢やら汚れがこびり付いて木片の質感に味が出ちゃっている雰囲気もかなりgoodだった。時間経過ゆえの汚さかもしれないけどそこらへんは想像力の変換でカバー。

11月号のSTUDIO VOICE宇川直宏が「ピカソアッサンブラージュみたいなこと今やっても意味ない」ってさらっと言ってたけど、今を生きるオタクがピカソの真似したら作品の良し悪しはともかく違う物にはなると思う。生活の端端で出てくるゴミやどうでもいいものをコラージュやなにやらで作品に取り込むというと大竹伸朗だけどそれだけじゃない、違う方向があるはずだ。

ヴォーヴナルグの食器棚」という絵が気になった。
図版に載ってるものと展示されてる本物では随分色の雰囲気が異なるが、一目見て「ゆめにっき」みたいだ!と思った。
時系列からして明らかにゆめにっきが「ヴォーヴナルグの食器棚」っぽいのだが、自分の中では完全にゆめにっきだった。顔が無いとか右手に包丁らしき何かを持っているとか、色んな要素があるんろうけど。
どこかで誰かが「俺がゴッホに影響を受けるというより、俺がゴッホに影響する」とわけのわからないことを言っていたが、少し感覚がわかった。いやわからない。



「芸術家とは、
どこからなりともやってくる感動を受け入れる、
貯水タンクのようなものだ。
天から、
地から、
紙の切れ端から、
通り過ぎる形から、
蜘蛛の巣から、
どこからなりとね」

これ後半とかすごく素敵な言葉だけどどうしても孤独のグルメの焼肉の場面が思い浮かんでしまう
http://umelabo.tumblr.com/post/57262664/7f7e4284416c6d2a195381a720c055e4-jpg

・pixivでよくわからない抽象的な絵を描いてる人が多く居て、ピカソのそれと図像的に似ている人がたくさんいることはなぜなのだろう。もちろんピカソを知っていて真似ている人がほとんどだろうけど、中には明らかに自然発生的にそのような絵が出てきている人も居る。時代と場所が異なるのに無意識にイメージがリンクしてしまう現象が関係している気がする(ぬえキマイラが似ているといったような。)。

・雌ヤギの彫刻もかなりかっこよかった。

性器の造形がすっぱりしていて薄ら寒さを覚える。
展示の最後のほうにあるので後ろに回って覗き込むように秘部を観よう!

ミュージアムショップでは複製作品が大量に売られており、エディションを「本物です!」と謳っているものがいくつか見られた。手に持てる小さな複製品でも10万円前後、版がピカソ本人の手によるものでサイズが大きいと100万を越えていた。参考になるんだかならないんだか。商魂たくましい。
ゆめにっきみたいな絵の複製品はなかった。絵ハガキもなかった。ピカソの中でもマイナーな作品なんだろうか。図版からスキャンしてフォトマット紙に出力して壁に貼ろうと思ったが、本の綴じが立体的に映ってしまいうまくいかなくて気づいたら30分を消費。