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kazuki umezawa

「アヴァンギャルドチャイナ」国立新美術館

http://www.nact.jp/exhibition_special/2008/CHINA/index.
・「アートバブルがキてる中国」という一辺倒のイメージばかり持っていたが観てそれなりに変わった。
・一つの国から多くの人間が発信すれば当然多様性を持ったものになる。
・蠅の飛び交う公衆便所で素っ裸になって「居る」だけの作品、天井から自分の体をぶら下げ血液を採取し続ける作品、ひたすら体を掻き続ける様をループで流し続ける映像作品など普通に考えたら不可解な作品群が前衛なのに漸進的で面白かった。
「中国は10億人も人間がいるから人間の命に対する考え方が他の国とは異なる」と言うと極論だが、これほど強烈に命や身体性を意識させる作品が多く出てきているのは中国という国ならではだろう。日本で同じことをやる人がいてもサムいことになりそうだ。張洹のパフォーマンス記録は一笑に付すことのできない迫真性を感じた。それがこちらの認識による一方的な思い込みだとしても、日本で紹介する展示である以上その思い込みも含めて作品の力だと思う。

張 洹(ジャン・ホアン)についてわかりやすく書いてあるエントリー
http://blogs.yahoo.co.jp/snailsorrow/15098155.html

・ひたすら体を掻いたり鶏を洗ったりしている張培力のビデオ作品は、映像を収録したビデオテープが中国の美術館に所蔵してあり、今回の展示ではそのテープの内容をDVDに焼いたものが使用されているらしい。出品される作品が「本物」であるかどうかは映像作品の場合曖昧だし、これくらいの態度が普通なのかもしれない。ビデオテープにこだわるか展示としての完成度にこだわるかで展覧会や美術館自体の方向性も変わってくるだろう。

・「死体派」という名称に驚いたがその後の車椅子の作品でさらに驚いた。ていうか笑った。
樹脂(?)で精巧に作られた色んな民族の偉そうな老人が車椅子に乗ってオートマチックにゆっくり広いスペースを動いているだけの孫原+彭禹による「老人ホーム」という作品。これは異様だった。死体派とか書いてあったもんだから一瞬13体の死体が自動的に動いているのかと思ったが違った。もう死体でも人形でもどっちでも良いのかもしれない。電動車椅子のジギギギという音や、それぞれの車椅子についているセンサーが反応して車椅子同士でぶつからないように距離感をとって方向転換をしている様とかが異様に意思を持っているように錯覚させ、たまらなく可笑しい。シリアスなはずなのにこれは笑いが止まらなかった。これはやばい。

ここで少し写真が見れる
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200808270206.html
http://www2.veritacafe.com/news/2008/08/20/001196_news.html

・楊振中の「I will die」は正直精神的にきつかった。いろんな国の色んな人が「私は死にます」と言っているのを無駄にたくさんのプロジェクターで映しているインスタ。どんな人間も必ず死ぬという事実はできれば忘れたい、意識したくないことなので体験してまったく良い気分にならない作品だった。凹んだ。死ぬのやだなー

・間接的に死を表現すると見え方によっては笑いにさえ転化するが、死ぬという事実そのものは恐怖そのものでしかない。少なくとも自分にとっては。それが自分の作品のテーマになるかどうかはわからないが、生きていく上でまったく無視できるものでもないだろう。やだやだ。

草薙素子はネットと同化することで身体の束縛のみならず死の恐怖からも開放されたのだろうか??

・ここ作家の情報がそれなりに詳しく載ってる
http://openers.jp/culture/c_news/c_news080801.html