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kazuki umezawa

カタールその2 「Murakami – Ego展」

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カタールに行って、「Murakami – Ego展」を観た、その感想。

技術的なクオリティの高さ、コンセプトや震災への応答などに関することはほとんど他の方の発言の繰り返しになってしまうと思うので、個人としてカタールに行って、その過程で感じたことをそのまま書こうと思います。

 

観る前に、前情報など合わせて「実際に観たらどう感じるのだろう?」と何度もシミュレーションしていたが、まず会場が見えてきた時に感情的にくるものがあった。日本からカタールへ来て、日本人一人でたくさんのアラブの人々の中にいて本当にここで日本人の大きな個展がやっているのだろうかと疑うほど来るまでにもたついてしまって、どーんと「murakami ego」とでっかい建物があるとやはり感動してしまう。というかこれを目の当たりにする前はカタールで観光らしい観光もできず、暑さと寝不足と体調との戦いの中で、これでさらに目的の展示まで観れなかったらどうしようと悪い方向に考えていたから、展示が本当に見れると確定しただけで嬉しかった。

入り口は花や本人の顔で埋め尽くされた壁側の反対側にあった。

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 この写真の建物の黒い部分が入り口で、入り口に入ったらすぐに巨大なご本人像が迎えてくれます。

 

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動画で見ていた印象以上に、手や足などの質感の表現がかなりリアルで気持ち悪いほど。建物に貼られた花や自画像などでかわいくイラストレーションされた本人像とのギャップが狙われているのかもしれない。実際に何人か接してみて思ったけど、特別に富裕層でない中東の人が抱いている「日本人像」というのはかなり曖昧で、「それなりに金を持っている」くらいの情報くらいしかないのではと思った。「オタク」「かわいい」「少し気持ち悪い」などの情報まで持っているのか怪しい所で、それらの情報をいきなりドカンと絵と立体で見せつけるというのは非常に意味のあることだと思う。建物のデコレーションとこの入口の本人像だけでも、アートもオタクもまったく知らない層が観ても、「なんか日本人ってやっぱ変なんだな」という印象は残る気がする。

 

中は撮影禁止で模写もNG。五百羅漢スペースでスケッチをしていたら、最初は気さくな警備員の兄ちゃんに「お、うまいねえ」という感じで話しかけられたが、しばらくして別の警備員に「何描いてる?駄目だ、消せ 今すぐ消せ!」と厳しく言われた。その二人の警備員が口論を始め(「いいじゃないか、描かせろよ」「駄目だ、決まりなんだ」等)、うやむやになってしまった。もちろんアラビア語だったので本当に何を喋ってたのかはまったくわからなかった。

 

入り口からさらに中に入ると青いでかい絵が。たんたん坊のゲロタン。

これですね(正式名称は「Tan Tan Bo Puking a.k.a Gero Tan」)。

とにかくかっこよかった。2002年に作られていたという事実に改めて色々考えさせられる。塗りが本当に、本当にフラット。隅々まで気が張られすぎていて、眩暈がする。細かい部分で、キャラが吹き出しでセリフを言っている部分があって、その内容まで確認できた。言葉の部分はなんかすごいメンヘラっぽい羅列?とにかく勢いでだーっと書かれているような。全体の調和があってかつ細部でこういった感情の吐露に見えるような仕掛けがあって、まあとにかくすごい。側面まできっちり塗ってある。画面右下に居る小さな長方形っぽい奴とそいつが構成されている空間がかなり好みだった。多くの人が村上隆作品の中での最高傑作と言う作品だけのことはありました。

建物の一番大きな空間に100メートルの五百羅漢の作品がある。五百羅漢の空間は中心にテントがあり、その中で映像作品が流れている。そのまわりに立体作品が展示されている。テントの中からアニメっぽい声が聞こえたので中に入って観てみる。「シックスハートプリンセス」が上映されているのかと思ったが、入った時に流れていたのはカイカイとキキというキャラの3Dアニメーションだった(このキャラ)なんてことない物語なんだけど、カイカイがお師匠様と生き別れる的な回想シーンで少しウルっときてしまった。流れてるのは短い二話ぶんだったけど、うんこネタが必ず強烈に入ってた。

シックスハートプリンセスのオープニングとエンディングも見れた。ネットで見れるのもあるけど、高画質で音声もしっかりついているものは初めて観た。新谷良子加藤英美里野中藍の声を聞いた時にとても安心感を感じてしまった。完全にプリキュアなのだけど、スタッフまで本家のプリキュアと同じ人を使って自分のアニメスタジオで作っているのは、最早パクリとか言う次元の話ではなく、これは一体何なのか、まったく形容する言葉が見つからない。恐怖すら感じた。

 

五百羅漢も随分随分じっくり観ることができた。100メートルあるので見るのが大変だと予想していたが、非常にみやすかった。光の反射によって表情を変える鮮やかな色の部分やラメの質感などは眼が画面に入ってしまうくらいじっくり観た。キャラクターを描いている線は非常に漫画的で、それも一流の漫画の線といった感じで、線だけ観ていても時間が過ごせる。細部の線を観過ぎて、抽象作品を観ているかのように錯覚し始めてちょっと眼を離すと、急に羅漢や炎などの造形が飛び込んできて、ぎょっとする。作家の、金田伊功や日本の漫画に強く惹かれていたという要素が、ここに来て色濃く目に見える形で現れているように感じた。

たまに日本の美術館で観れる機会のある国宝の巻物の展示、自分が観たことがあるのは伴大納言絵詞くらいだけど、その時の観た印象に近いものがある。国宝の展示は照明を落とした空間で、サイズも小さく、紙や墨の劣化などもあるのに対して、この絵はとても大きく、細部まで明瞭に描かれており、とても贅沢に鑑賞できる。なぜか、こんなに観ていいのだろうか?という気持ちにさせられた。歴史や宗教を感じさせるような作品で、こんなにじっくりくっきり観られる物というのはそうそうないのではないだろうか。自分が行った時は観客もニ、三人ぽつぽつたまに居る程度だったので、なおさらじっくり観れた。

「日本人作家で、この規模でこのクオリティで絵画を作ることができるのは村上隆以外に居ない」事は、実物を観るとその事実が質量を伴って実感できる。自分が描けるとしたら6か7メートルの絵画が現実的な限界で、ある程度無茶をして、制約や壁を何度かぶち破ってようやく10メートル級にこぎつけられるかどうか、といった所だと思う。出力だけの作品なら30メートルくらい行けるが、それは意味合いが違ってくる。もちろん、アナログの平面の絵画に完全にこだわる必要はないし、大きければなんでもいいかというと完全にそうではないだろうけど。

それとは別にして、自分がやるならもっとこうしたい、ああしたい、などの欲望がたくさん渦巻きながら展示を観ていた。ネットのイメージの再構成、再構築、画像、ぐちゃぐちゃな感じ、をもっともっと自分で観たくなった。これだけのものを観れば、やはりふつふつと湧き上がるものがある。今の自分にできるものには限界があるが、やろうとしてることの方向性はやはり曲げようがないなーと思った。うまく言えないが、自分の場合、そこに迷いがあったらおそらくカタールまで観に来ていなかっただろう。観ていて、観る前も後ももっとごちゃごちゃとたくさん考えたけど、一番考えていたのは自分の作品の事だったように思う。見る前は「これを観て感動してる場合ではないが、だからこそ観なければいけない」という意識だったが、観た後は幾分か落ち着いて考えられるようになった。この展示を観終わって日本に帰ってからすぐに京都で展示する5メートルの作品を仕上げた。

展示は一度観て、その後イスラム近代美術館を観て、周りを散策して、もう一度観た。

行く前も、行ってる時も、行った後も、観た内容を文章で記録しておこうとずっと考えていたが、いざ書こうとしてみるとあまりすらすら書けなかった。別に書かなくても良かった気もするし、もっと意味のありそうな風に書けた気もする。行って、観てきたということをとにかく人に伝えたかっただけなのかもしれない。