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kazuki umezawa

うたわれてきてしまったもの

この作品は、匿名集合知の成果物であり、誰が作ったものでもないキャラクターがそのまま配置されています。「彼女」は自分が切り貼りして作ったイメージでもないし、ただただ無名の創作意欲が拡散し集合した結果生まれました。

文章の後半で述べますが、この作品には明確な「テーマ」があります。どういうキャラクターを中心に添えるかは、自分の中でもかなり葛藤がありました。まず確実なのは、自分が作ったキャラクターを使っても意味がないという事です。いままでのキャラクターでもなく、作家性が垣間見えるものでもなく、救済も天罰も与えそうなもの。

「彼女」を作品の中央に扱うことでかなり多くの人間を傷つけ、自分も多くの批判をうけました。なにより、「彼女」を愛する多くの匿名の方達から大量の批判を受けました。冷静に考えれば当然のことです。自分たちの大切にしていた存在をわけのわからないアートを標榜する集団に窃盗、陵辱されたと感じれば怒るのも当然だと思います。
この事態に対してある程度想像はしていたものの、自分はショックを受けました。ショックを受けた自分にショックを受けたとも言えます。
自分の中で「彼女」を中心に据え作品を制作し続けることに揺るぎはありません(現時点でまだ加筆は終わっていません)。コンセプトとして匿名の集合知の成果物を中心に置き、今までと現在でキャラクターの存在がどのように変わっていくかを一瞬で示唆させる構図が完結しているからです。

該当する場所そのものにはもう足を踏み入れないと約束するし、今後は一切触れないようにします。自分は、震災以後のキャラクターの在り方について一貫した考えを示すためにこの作品を作りました。作品の一番の意図は、そこにあります。

前置きが長くなってしまいましたが、この作品は津波の画像、ガレキの画像と現地で自分の目でみたぬいぐるみと、インターネットに散らばる無数の画像をごちゃごちゃにまぜて全体が構成されています。かつての日常であったキャラクター達と、打ち捨てられたキャラクター達が、一緒くたになって地に流されている構成です。
そして真ん中の天から一体のキャラクターがまるで女神のように、地に打ち捨てられた者たちを救済するかのように降臨しています。
すべては見守られているように見えますが、見方を反転させればこの地の惨状をすべて女神が天罰のごとく起こしたようにも見えるでしょう。

この絵の持つ天と地の存在と救済と天罰の両義性は、制作する前からある程度決まっていました。これは今までの自分の作品からすればかなりイレギュラーな事です。そもそもテーマを設定するという事自体を今までしていませんでした。ただただツールのように画像を収集し、生成した結果を作品として提示することだけをしていました。

それが変化するきっかけになったのは件の東日本大震災です。
未曾有の震災に対して、多くの犠牲が出て、様々なことが変わってしまいました。
福島の原発が被害を受け、放射能が漏れ、日本全体が危機にさらされ、現在もその危機は続いています。
このような状況になり、今まで日本で享受されていたキャラクター文化が今まで通り続いていく可能性は非常に低いと言えるでしょう。永遠に続くと思われていた日常が突然遮断されたような、そんな感覚に包まれてもやもやした気持ちでいました。
被災地現地の状況はtwitterや各種大手のメディアによって伝えられ、凄惨な状況を伝えていました。
だが何もかも伝聞で今、本当に何が起こっているのかは確証が持てません。
ということで、ある現地への映像取材に同行してカオス*ラウンジメンバーと共にこの目で確かめに行きました。

現地でなにより自分に印象的に飛び込んできたのは、ガレキや砂にまみれて打ち捨てられた多くのぬいぐるみです。ミッキーが、スティッチが、リラックマが、原型をとどめていない家々の中にまぎれてぽつんとその身をさらしていました。現地で見て印象的だった事はあまりに多く、記憶が整理しきれない部分もありますが、生身の人間に愛されてきたキャラクターの体が、愛していた人間や多くが失われたその場所に残されているという構図が、悲しくも物語性を帯びていて記憶に残ってしまったのだと思います。

キャラクターとは、今までは自分にとってはデジタルであり、現実に存在しないものであり、匿名の想像力によって無限にn次創作され、増殖し、改変され、遍在する幽霊のようなものだと思っていました。次元が違うから美しいし、憧れ、萌え、会えないからこそ愛おしくてたまらない存在であり、だからこそ現実の画像は使わずにネットの画像だけを拾って作品をつくってきました。

しかし、偏在し、拡散しコピーをされ続けるキャラクターでも、ある形をとれば一人の人間に大切にされ、かけがえのないものになる。そのことが今回の震災で、自分にとびこんでき、よりによって、失われたあとに気づかされました。
被災地では、打ち捨てられたぬいぐるみをただただデジカメで撮り続け、祈り、現地の土産をたくさん買い、募金をするなどもしましたが、自分にできることはこのキャラクター達を表現に還元し、何かを伝えることだと考えました。

この作品は、以上のような経緯で作られました。
インターネットに散らばる無数の画像を拾い集め、再構成して画像を作る手法について、オリジナリティや匿名性や著作権について現実でもネットでも今まで様々な意見を貰っています。
それらを聞き、噛み砕いた上でもこの制作手法は続けています。0から絵を描くことの表現への神秘性への憧れ、信仰は僕にはなく、ネット上のカオスや有象無象の欲望が表出された画像のみに興味があるからです。
繰り返しになりますが、今回のようにある場に土足で踏み込みさらにそれを広めるような行為は二度としません。そのことを踏まえつつ、制作を続けていきます。