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kazuki umezawa

ヘンリー・ダーガー 大山慶 和田淳 ペトラ・フリーマン

■「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」
http://www.henry-darger.com/


まずドキュメンタリーとして、ダーガーの作品が他人の目に初めて触れてしまった時の彼の反応のシーンが曖昧なのが非常に気になった。ここhttp://www4.ocn.ne.jp/~artart/art-report/darger.html斉藤環戦闘美少女の精神分析」の四章で触れられているようにヘンリー・ダーガー個人としては自分の作品は自分以外の目に触れられたくなかったという説がある。この説はそれなりに有力で、本当だとしたら彼の作品がアウトサイダーアートの代表例のように語られている現在の状況が彼の意思をまったく無視したものである事になる。

この映画ではそこについてまったく触れられていなかったと言っても過言ではない。ダーガーという商品を日本に宣伝するためだけの映画だ。そういう意味で少し悲しくなった。映像内の演出がすべて、彼の作品をこれだけ神話化して世界に宣伝してる側のエゴを隠そうとしているものにさえ見えてくる。そう揶揄したくなる。

少女にちんこ生やして虚構世界創りまくる妄想をすべて自分の意思と関係なくおっぴろげられるなんてたまったもんじゃないだろう。自分だったら絶対やだ。ダーガーの意思と彼の作品を公開してる側の関係はもっと言及されるべき。

だが彼の意思に沿って作品がまったく公開されずにすべて焼却されてしまっていたらあの素晴らしい物語も世界も俺は知らずにいたわけで。そこらへんは二律背反の意思が見事にかち合い非常に難しい問題なわけだが。でもそこが日本で公開された映画の中でスルーってのはおかしい。

動くヴィヴィアンガールズはわりあいしょぼかった。ニコニコのFLASHやAfter Efectsを使える連中に任せた方が絶対完成度の高いアニメが出来たと断言できる。

ダーガー周辺の人の話は興味深かったし、当時のシカゴの雰囲気をおりまぜつつダーガーの精神世界と平行して語るドキュメンタリーとしての出来は普通に良かった。淡々と語る口調やテンポは飽きさせないものだったし、何より一般のアートにあまり触れない人でもわかるような丁寧なつくりだったように思う。

だけどなー。

大山慶さんがムサビに公演に来た。
http://www.keioyama.com/jp.topic.html

Animationsの土居伸彰さんと二人でトークしながら作品を上映といった流れだった。
「ゆきどけ」「診察室」「ゆきちゃん」などの主要な作品を観る。
ゆきどけ以外は観た事があったが当然のように新たな発見があった。ガチアニメ信仰というより思考や記憶を形にするツールとして皮膚や傷口等のテクスチャを動的に利用してる感じ。その結果見たことがあるようでない視覚体験を生み出している。アニメという映像表現に意識的である、つまり既存の表現に意識的であるという意味では舞城王太郎やラースフォントリアーさえとも僕の中では繋がる。その結果非常にアニメらしくなったり小説ぽくなったり映画っぽくなったりする。
大山さんはけっこう饒舌で、自分の思考を言語化できる人だと思った。おそらく批評寄りの土居さんがいたのも大きかったのだろう。
フォトショで地道に一枚一枚作ってイメージを作ってるのがわかってよかった。懇談会ではここでは書けない様なぶっちゃけトークまでできて大変充実した時間をすごせた。イメージライブラリーありがとう。後日自分の作品の感想を頂いたりしちゃって鼓舞された。
以下メモ

・「ゆきどけ」は白い空間にどすぐろいイメージが広がっていく映像がまず頭の中に浮かんでそこから物語を肉付けしていった。
イメージフォーラムの頃は実写を撮っていて、その頃から肉的なイメージには興味があった。
・アニメを「好き」「嫌い」以外の観点から作品として観る様になってから「診察室」をつくった。山村浩二さんがきっかけ。
・「診察室」は現実部分はペインターを用いてPCだけで描いており、動きはロトスコープで実写に近い。逆に記憶(虚構)部分は生々しい写真の画像などを素材に描いており、動きはアニメ寄りな動き。
ロトスコープhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%97
・「診察室」は「小学保険ニュース」というタイトルが先に決まって描いていた。
・一枚の密度が高いかわりに、1コマ1コマの間にフェードをかけている。
・質感だけ実写という技法は最初慣れなかったが最近慣れてきてぎこちなかった動きがよりアニメーションらしくなってきた。そこはまた敢えて壊す方向でいきたい。つまり意識的に「ぎこちなさ」を取り入れたいとの事。
・「ゆきちゃん」はそういう意味では今のところ大山作品では一番自然に動いてるという。大山さんも土居さんも音がないイメージのほうが良いと言っていた。

・例えば実写で男性器を撮ると非常に生々しい。「ペニス」以外の何モノでもなくなる。だがアニメーションだと「おちんちん」になる。そこに可能性を感じる。
・純粋な短編アニメーション作家で作品だけで食えているのは日本で山村浩二さんだけ。それも最近、ギリギリ。
・大山さんは六本木クロッシングで天野一夫に出展を推薦されていた。だが他のキュレーターに「これはアニメだから」といわれ結局出展はなしに。
現代アートにおいてはおかれる文脈が重視されるから例えばヤン・シュヴァンクマイエルなら出展はOKだがノルシュテインだと微妙だみたいな。
・パーフェクトな美しさを観ると不安になる。ジブリのヒロインとか怖く感じる。
・フクロモモンガに癒されている。

和田淳さんがイメージフォーラムに来て作品をみせたり話したりしてくれた。
http://codocodo.com/codo/gallery/w_index.html

大山慶和田淳に憧れてイメージフォーラムにいったようなものだから最近の流れは非常に嬉しい。
和田さんのアニメーションは線が非常に細くて画面がシンプル、間が独特という印象があったがやはり本人もそこの部分は相当重要視していることがわかった。
シャープペンで描いたキャラクターの線などはスキャナが読み取れない時もあったりするのでそこの微妙な感じを大切にしている。だけど家庭用のスキャナだから大変みたい。
アニメーション、映画でしか出来ない表現はやはり「間」だとおっしゃっていたがそれはああいうキャラクターや余白の多い絵作りだから成立するんだなと思った。つまり個人で作るアニメーションだからこそ生まれる内容だとも言える。
それにしても和んだ。なかなか観れないようなレアなものもいくつか観られた。商業アニメしか観た事ない人でも和田さんの作品なら普通に楽しんで観られるだろう。

・気持ちよい感覚を何より大切にしている。鼻は気持ちよい。白いものややわらかいもの、ヤギ、おじいちゃんとかにこすりつけたい、きっとそれは大変気持ちよいはずだなどという願望がそのまま表現に繋がっている。とにかくその気持ちの良いシーンを思いついて後から構成などを考えて足していく。その際「間」を大切にする。シーンが物語より先に来るという点では大山さんと共通している。
・ずっとOS9で作っていた。
・音は全部自分の声
・シーンによってフレーム数は違う。多いときは15/1sec 普通で10/1secくらい
・コピー用紙に描いてる。スキャンした後の微妙な黄色い質感を利用している。
・アナログで描いてフォトショとかで色つけてる 色は超苦手
・海外の映画は観たりするが日本のアニメはほとんど見ない。

短編アニメ作家と萌えアニメとの溝は深いようだ。

■ペトラ・フリーマンというイギリスのアニメ作家が大変好みだ。
「ジャンピング・ジョーン」という作品では赤い服の女の子のたくし上げたスカートの中から白いシルエットの兎が二人出てきて青いシルエットの人型と踊るのだがそこに何の脈絡がないのにいくらでも観ていられた。ああいう表現ができたらいいなあと思う。もう少し解釈がしやすいものにしたいけど。
参考http://umikarahajimaru.at.webry.info/200711/article_5.html

日本ではDVDとか手に入れるの難しいっぽい。
東京工芸大の講師の方が映像で所持していたが「.aviでくれ」とは言えなかった。

■「ターナー賞の歩み展」観た
http://www.mori.art.museum/contents/history/index.html

金沢21世紀美術館で展示を観たグレイソン・ペリーを楽しみにしていたんだけど紹介的に展示されてると全然面白さが伝わらない印象が。

デミアン・ハーストぱねえ。

キース・タイソンの「考える人(ロダンに倣って)」というオブジェに一番惹かれた。三万年もあるプログラムを実行し続けるためだけの巨大なスーパーコンピューターっていうのはアートじゃなきゃ成立しないし、圧倒的にかっこいいんだこれが。思わずコンコンした。


「サラ・ジー 展」観た
http://www.tokyoartbeat.com/event/2008/5A4D
色ーんな日常品やゴミが絶妙なバランスでタワーとしてオブジェとして作品として成立している、それも銀座のエルメスの上のほうの階で!
という驚きと面白さがまず来た。

サラ・ジーの作品は「日常品」「ノイズ」「再構成」「資本主義」など色々と現代アートめいたキーワードが容易に浮かぶがそれよりまえに作品の形状の面白さや美しさが眼に飛び込んでくるから良い。そういう意味では志村さんの作品と通じるものがあると勝手に解釈。

■月島でその先輩の志村さんが出品してる"Who's Next"という展示を見てきた。
http://www.tamada-pj.co.jp/project/who2008.html

志村さんが今回の出品作品で試みる内容は事前に聞いていたのでそれを確認するような鑑賞をした。普通に観る以上に文脈的な観かたになったように思う。
机の体裁をとった虚構としての舞台上に何かを内包した「プレゼント」がせいぞろい、というオブジェは何が入ってるかまったくわからないので「感謝」や「贈り物」というノリが感じられるが、どっちかというとからっぽな部分が鑑賞者に委ねられる側面が強い。志村さんの普段の映像作品はからっぽ(解釈委ねる)でありつつとてつもなく強度を持っているので今回は当然拍子抜けなのだが、この演劇や舞台に刺激されたアーティストの次の作品が生意気にも楽しみに感じられた。

あと小村希史という人の絵画が非常に良かった。
http://www.honeyee.com/news/2006/art/030/index.html

"Who's Next"レヴュー
http://ex-chamber.seesaa.net/archives/20080421-1.html